アポロ峠にその秘史を知る ~復刻記事

 

この先ずっと雨っぽくて、釣りにも行けそうにありません。

ブログに書くことが無いのでまた、昔やってたHPの記事を引っ張り出して掲載します。

 

 

アポロの栄光の下に (走行日:2006年5月5日)

熊本林道走行の2日目は五木村ハイソサエティーなペンションでの目覚めからスタート。朝の7時に宿を出発。天候は快晴。集合ポイントの道の駅五木で宮崎のV-takes氏、福岡のテラノTKHSさん(お嬢さんも一緒に参加)と落ち合います。名前を忘れましたが五木村内のとある林道▼

f:id:mtwildcross:20210811195737j:plain



もうすぐこの林道も終点かな(大幅割愛ご容赦)、と言ったところでさて、これからどこに行こうかという話▼しかし超重要な情報をゲット。なんとこの近くに『アポロ峠』なる興味そそられまくり蛤なポイントがあることが判明。行くしかない!「まさかとは思うけど、アポロの部品が落っこちてきたところとか?・・・・」日本国内でありながら、通常ではありえない奇異な名称に林道ロマンバーニング超加速(意味不明)

 

そしてついに我々は目的地に到着した。見よ、これが『アポロ峠の碑』だだ!!!着くや否や、その名前の由来を知るべく、石碑のかたわらに立つ碑文に目をやるV-takes氏▼不意に静かな林道に嗚咽が聞こえ始めた。この白昼に、いったいどこから!?まさか”アポロの呪いか、怨念か!?アポロ峠の由来を知らぬが故に、わしの中で飛び交う憶測。いやまてよ、しかし、『・・!!!!』。驚天動地、嗚咽の主はまぎれもなくV-takes氏。驚き、そばにかけよれば、そこには感涙にむせぶV-takes氏の姿ががが!!!『林道の鬼神』と恐れられるV-takes氏の琴線に触れたどころか、それを激しく奏でたてるとは、いったいこの碑文に何が書かれているというのか!!!今此処に、アポロ峠の由来が明かされる!!   (↑一部脚色 by管理人)

f:id:mtwildcross:20210811195919j:plain



▼アポロ峠由来の記▼
1969年7月、米国宇宙船アポロ11号は人類初の月面着陸を目指し飛行中であったちょうどその頃、松木林業はこの峠を目指し、作業道を開削中であった。そしてアポロ11号より半日早い7月3日、午前10時頃、作業用ブルドーザーが峠に到着した。この快挙を記念し、以後この峠をアポロ峠と呼ぶことにした。尚、峠は1990年、10月、大規模林道が開通し、現在の形に改修された。 ~以下省略   

f:id:mtwildcross:20210811200136j:plain

 

アポロ峠を後にして、快走路な大規模林道を行く▼なにげない道ですが、これでも標高は1000mを軽く超えています。大分にはこんな林道ありません。すごい!!

f:id:mtwildcross:20210811200154j:plain

林道の新緑▼

 

f:id:mtwildcross:20210811200207j:plain



林道のちょっとしたセクションで遊ぶテラノとパジェロ▼福岡から参加のテラノ乗りTKHSさん、少しでも遊べそうな地形を見るとすっとんで行きます。

f:id:mtwildcross:20210811200236j:plain

路面乾燥のため、後背を走ると砂埃が▼鼻毛にサンキュー

 

f:id:mtwildcross:20210811200249j:plain



素通りしては失礼な風景▼ですが、スケールがでっかくて、うまいこと良い構図に持っていくことができませんでした。

f:id:mtwildcross:20210811200303j:plain

本日の本命林道は五家荘にある「西の内谷川」に沿って上福根山(標高1645m)に向かう林道だったのですが、みんなして、あっちゃこっちゃ道に迷ってしまい、結局、目的地接続が確実な県道に出ることができたのが午後4時ごろ。地図を見ただけで、景色の良さが想像できるハイレベルな癒し系林道まであと1時間というところだったのですが、冷静に帰り道の長さを考えて、メインは次回のお楽しみにとっておくことにしました。せっかく五木村まで来てもったいないことこの上ないのですが、眠気に耐えながらの夜道長時間ドライブってわし的に辛いからと英断(だったと思いたい)を下します。残念ですが、テラノTKHSさん、V-takes氏と別れて、一人家路を辿ります。二台はメインディッシュを召し上がるべく、五家荘へと向かっていくのでした。

後ろ髪引かれる思いで県道25号を北上するわしでありましたが、いくらなんでもこのままハウスに直帰というのはもったいないので、ツーリングマップルに載っている五木村東陽町境にある林道を目指します。林道入り口に着いたのは午後5時。10kmちょっとの林道だったので、6時には林道を抜けきる目標をたてて、いつもより少し速度を上げて走りました。

走り始めは見晴らし今ひとつ▼

f:id:mtwildcross:20210811200331j:plain

 

そのうち、見晴らしがよくなってきました。標高は800~900mくらいだったと思います▼

f:id:mtwildcross:20210811200347j:plain

6時までに県道に戻るという目標があったので、ここぞという地点での写真撮影は欠かさなかったものの、降車→撮影→乗車の動作をスピーディーにこなします。何気にとった一枚▼

f:id:mtwildcross:20210811200409j:plain

さらさらと流れ落ちてきそうな山肌▼梅雨後は大変なことになってそうです。

f:id:mtwildcross:20210811200424j:plain

林道には分岐があったのですが、県道25号に戻るためには、おのずと進む道は決まってしまいます。進んだ支線はツーリングマップルが『路面荒れ気味』と評する林道。林道に山水が流れ込んでいるため、路面に溝があったり、大きめの石が転がっていたり。ライダーにとってはめんどくさい路面状況かもしれません。別に通る必要が無いのですが、素通りできずに▼溝

f:id:mtwildcross:20210811200440j:plain

雨水侵食で路面が削られています。石が露わに▼

f:id:mtwildcross:20210811200459j:plain

 

茶畑に行きついたので▼抜けたかなと思ったんですが、この後もしばらく人家が無くさびしげな山路でありました。

f:id:mtwildcross:20210811200514j:plain

予定はあくまでも予定、行き当たりばったりなわしですが、うまいこと6時に県道25号に戻ってくることができました。びっくり!・・・・あとは大分県に入るまでしばらく快走路の連続。

さて、ここで06年5月4日の走行史冒頭で出したクイズの答え合わせをしましょう▼『地域通貨「キヨシ」使えます』ののぼりがあったスーパーは宮原町にあり、宮原町は市町村合併により、現在の町名は氷川町となっています。氷川町(合併後の町名については、宮原町を流れる大きな川の名前が氷川だったからでしょうか)、そして通貨の単位がキヨシ。とくれば、名前の由来についていは「もうそれしかないじゃろう」という結論に勝手に至ります。しかし、もしかしたらこの通貨単位の由来はそんな安直なものではなく、裏にもっとすごい涙ちょちょぎれストーリーが隠されている!!のかもしれません。

f:id:mtwildcross:20210811200544j:plain

道の駅竜北(だったかな?)でみつけた、うまそうなソフトクリームの看板▼い草って、食いもんなんすか・・・・・・?たとえ、食えるとしても、抹茶とミックスしてもらえないとソフトクリームとして独り立ちできないのでは、い草の食い物としての限界が見えてしまう気がします。

 

f:id:mtwildcross:20210811200603j:plain



舗装路とは言え、夜道の運転はつらいです。ほんとに。で、うちに戻ってこれたのは夜の11時過ぎでした。JB23お疲れ!がんばってくれて、ありがとな!▼

f:id:mtwildcross:20210811200617j:plain

 

前日の林走は不発、そして二日目もメインディッシュが頂けなかったのは残念でしたが、アポロ峠に到達できたことが良い思い出になりました。みなさん、お疲れ!