3か月間、どんなに空が晴れてお日様が僕をまぶしく照らそうが、心の中はずっと曇りっぱなしというような状態でした。あきらめない!と誓っても翌日には諦めたり。そんなことの繰り返し。
自慢みたいなことを言いますが、今まで生きてきてどんなつらい状態にあっても食欲が落ちたり、夜眠れなかったりしたことはありません。今回も食欲はあるし、夜もきちんと眠れておりましたが、あまりにも気分が沈むので、このままうつ病になったらまずい、と不安感を和らげるという漢方薬を飲んでいました(効く効かないはわかりませんが、何かに頼ってないと不安)。
事態が好転する兆しが無いので、もうなるようにしかならん、もう自分の心が壊れないようにするしかないと観念していたところ、あることをきっかけに見上げても延々と地の果てまでも続いているかのような雲が薄れ光が差してきたのです。まだ完全に晴れたというわけではありませんが、まさかこのような日が来てくれるとは・・・・。
今回のことでつくづく感じたのが
「志を立ててもって万事の源となす」という吉田松陰先生の遺した言葉の普遍性です。
志というと幕末の維新の志士が心に刻んだような立派な目標という気がしてしまいますが、そんな大そうなものでなくても十分良いと思います。
僕は医療関係の辺縁の事務の仕事をしていますが、経験上思うのは検査や治療や薬だけを駆使すれば病気が治せるわけではないということです。
治療・投薬を受ける患者さんが『治りたい!生きたい』と思うことがまず重要だと思います。
僕も去年は心労からくる免疫力の低下で副鼻腔炎を繰り返していました。
もちろん、治したいと思って病院に通い、抗生剤をもらったりしていたのですが、一度は治っても、ちょっとした風邪がまたこじれて副鼻腔炎を再発。免疫力がガタガタになっていたんでしょうね。
その時思ったのが、『何か目標を持たないと』ということでした。
その『治りたい、生きたい!』と思う力、『目標』は僕にとっては『ブリを釣りたい!』という実に個人的な欲求でした。
何も『この矛盾で満ち溢れて腐りきった世の中を変えずに死ねるか』という高邁な心では決してありませんでした。
今の日本はなかなか目標が持ちにくい、夢や希望を語りにくい社会になっているのかもしれません。
新聞やテレビなどでよく『日々、生きることが戦いだが、開発途上国の子供たちの目はキラキラ、明るくて希望に満ち溢れている』というような報道を見聞きしますが、思うにそういった国の子供たちは『生きていく!』という実に生命にとっては根本的なしかし切実なことが既に厳然として目の前にあるのでそれを”志”として前に力強く進むことができるのではないかと思うのです。
一方、日本ではどうでしょうか。詳しく分析して記述するだけの文筆力を持ち合わせてないので書くことができませんが、簡単に書くと、『もっと子供たちが希望を持てる社会になれば違うんじゃないか』ということです。
僕の志
僕の今年の目標はやっぱりブリを釣るということです。今まで散々通いに通ってますがまだブリを釣り上げることができたのは3度のみです。去年の秋は激熱(アタリは頻繁)だったのに、一本も上げられなかった大野川河口でブリと相対したいのですが、残念ながら日曜の夕マヅメはスカでした(エサの小アジは釣れたんですが)。
秋は釣りの最高のシーズンなのですが、まだちょっと時期が早いのかもしれません。釣りばっかり言って冬野菜の準備ができてないので、来週の休みは畑仕事をがんばろう、と思うのですがどうなることでしょうか。