大惨敗!秘薬は之に非ず?!

 

昨日の釣行は小さいですがヒラフッコが釣れたので満足できましたが、フッコの釣果よりヘッポコの心を占めたのが『すぐ隣の釣り人は釣れないのに達人だけ安定の釣果』という不思議です。

何か秘密があるに違いありません。

夕方ネットに向き合ってひたすら検索。

そしてたどり着いたのがサビキ釣のコマセにいわし油をちょいと混ぜるという方法。

これで他の釣り人の浮きが虚しく漂うのみの状況でも、落とした先から浮きが消込み周囲垂涎の釣果を得られるとあります。

『之に違いない!!』と確信したヘッポコはすぐに釣具屋さんへ。約千円しましたが釣果が約束されるなら安いもんです。

そしてエクストリーム出勤の当日朝にコマセに混ぜ込みます。油だからそんなに臭わないだろうと思ったのですが、車中に積んだコマセバケツから芳しい焼き魚にも似た芳香が。

その匂いが鼻腔を刺激するたびに、釣果に対する期待(途中で匂いに麻痺して感じなくなりますが)がどんどん高まっていきます。

そして女神様の防波堤に5時到着。

今日は堤防中程でサイズのデカいのを狙います。

たまたま釣座は達人の10m程のところになりました。

ヘッポコは早いうちからコマセを打ち込んで匂いを効かせようと時合前からサビキ仕掛けを投入します。

と、達人はというとカサゴを狙っておられます。時合まではあせるなあせるなと、泰然自若、まさに達人の境地かなと。

そして達人がアジ釣りの仕掛けに向き合い始めた頃、ヘッポコの置き竿が激しくガタガタを音を立てます。

来た!!!!!

イワシ油万歳!

万歳!

万歳!

ついにアジのサビキ釣の爆釣法にたどり着いたと快哉を叫びます。何しろ達人の竿より早くヘッポコの竿にアジが食いついてきたんですから。

しかもそこそこのサイズです。

しかし、上げる途中でポロリ↓

まだまだ!

時合は始まったばかり

すぐにコマセを詰め直し、仕掛けをおろしますが・・・・・・・・・

後は延々と竿先は沈黙

ヘッポコはお寒いばかりの状況ですが、他の常連さんにはアジが食ってきているようです。

豆アジすら釣れない、これでは泳がせにすら入れない。このままでは納竿できないのでサビキセットを持って堤防の根元に移動。そしてアタリがあって釣れたのは

スズメダイ

アジ釣りの方なら経験があると思いますが、これが釣れ始めるのはアジの時合が終わった証拠のようなものです。

粘ってなんとか1匹小アジを確保して泳がせましたが既にあたりは明るくなり、時合終了の時間。

 

イワシ油に絶対の信頼を寄せていただけに、しかもヘッポコだけ貧果も貧果大貧果に心はズドーンと沈みます。

いったい何なんでしょうか、この達人とヘッポコの差は。

アジなんてそこに居さえすれば時合になれば釣れる。コマセもサビキ針もなんでも良いと思っていた(ナメていた)けど、実は違ったということですね。

狙いは大物の泳がせ釣り人なヘッポコですが、泳がせの餌が釣れないようでは失格です。

アジ釣りの秘策への探求がまだ続きます。

 

さて、話は変わりますが、今日仕事の会議に出席した方から『ご先祖の百回忌の案内がお寺から届いた』という言葉にびっくりしました。聞いたことはあるけどまさかほんとに届くんだなと。

思ったのはもう覚えている人もあまりいないだろう100年前のご先祖の法要をする必要があるのか?お寺の金目的ではないかということです。

7回忌くらいまでなら、親族が顔を合わせる機会を作るという意味でも意義は理解できますが、『故人を悼み、百回忌もするように』なんて絶対お釈迦様は言っとらんだろと仏教の拝金主義化を見たような気がしました。

ヘッポコは思うのですが、今の仏教って葬式仏教って感じがします。

宗教って本来『生けるものの苦しみ寄り添い救済する』ことが一つの目的なんじゃないんでしょうか。

はっきり言って亡くなってしまって痛みも苦しみも感じなくなった方にお経を上げるより、この現実世界で苦しんでいる人に解決はできなくても少しでも心が軽くなるようにはたらきかけるのが宗教の役目ってもんじゃないんでしょうか。

こう考えると政権与党と癒着して話題の悪徳カルト宗教は入信した者の家族は不幸にするかもしれませんが信者自身は盲信によって元々あった心の苦しみは軽減されるのではないかと。そういう意味では目的は全く別(信心深い信者から金を巻き上げるのが第一義)であっても少なくともこの世の苦しみに悶える者に向き合ってはいる気がします。

ヘッポコにも仏教系カルト宗教に入信した先輩がおりまして、色々と苦しみを抱えておられました。先輩が職場を離れてから数年後、その宗教の機関紙などをプレゼントされ入信を勧められました。

熱心にその宗教の正当性を説き、入信を勧めてくる先輩を見て『心の拠り所が得られたんだな』と思ったことを覚えています。

苦悩の旧里忘れがたく、まだ見ぬ安養の楽土は恋しからず候